みんな自分のことを話したい

自分の話に興味がない。自分というものを抽象化して表現したとき他者に理解されたらいいなというのぞみはあるものの、不可能だろうと知っている。

誰しも自分の話がしたいのだと、気づいたときには聞いてあげる側だった。そのまま二十年以上経った。身に起きた悲劇をまくしたてる同級生に追いつめられ、保健室のベッドで寝込んでいた十七歳の私は、十七歳のまま悪夢を繰り返している。身勝手な他人から自分を守れず、急に見捨てるほか手段のなくなる残酷さは愚かでしかなかったし、愚かさとは老いても変わらぬ個人の本質を言う。

聞いてあげたぶんだけ聞いてほしいわけでなく、聞ける時間があったときに私は働きかけたし彼ら彼女らの要望をできるかぎり、できる以上に、受け止めたのだから、そのとき最大応じてほしかった。

熱量と時間が、今この瞬間釣りあわない。そういうときの私は本気でどんな人のことも切り捨てる。そういうときしか、どんな人のことも切り捨てない。