訪問客

午前中、宅急便がふたつ来るのはわかっていたので待っていた。ひとつは父がむやみに買った籐椅子で、東南アジアからはるばる、さまざまな事情によって長い時間をかけ船で運ばれてきたのである。彼の自宅には籐の家具がいくつもあり、まあ、いつだったか気分の良かったとき、私にも買ってやる、とかなんとか言っていたのが今更来たのだった。椅子は素晴らしいもので、広いばかりで何にもない私の部屋の隅にちょうどよかった。大きすぎる梱包資材を解体して捨て終わったころに二つ目の荷物である食品が来たので冷蔵庫にしまい、ついでに卵とハムとバターを出してオムレツにし、そのあいだにトーストもオーブンに入れ、出来上がりの時間をととのえて昼食にした。

 

友人が個展をひらいているので午後に行くことにしていて、手早く化粧をし終わったところにもう一度ドアベルが鳴った。不審に思ってモニターを見ると母だった。朝方、メッセージでの口論をして顔を見せるな声も聞きたくないからしばらく電話もするなと言ったのだが、車を運転して私の家まで来たので入れないわけにもいかず、玄関に入るやいなや疲弊し切った顔でコーヒーを淹れてくれ、というのでしょうがないから新しい籐椅子に座らせ、湯を沸かした。

 

父が手のつけられない状態になっていて、どうしていいかわからなくてここまで来た、と母は言った。父は、自分の思い描いていた家庭像や仕事の在り方をうまく手にできずにいるままで、話を聞いていて人間というのは70歳をすぎてもそんなに理想を捨てられないものなんだな、愚かしい、としか思わなかった。天気がよく、日差しも暖かかったから差し支えないだろうと思い(天候が悪かったらよくない相乗効果となるから控えただろう)私は相当大きく声を張り、子供の頃から見てきた父と母の、ふたりにとっては健全だが子らにとってはきわめて理不尽、そしてそれらすべての盾となって妹と弟を守った私の中に押し込めてあったものの一部を、言ってやりはしたのだが、疲れきった母はそれを聞いても、落ち込むことももうできないほどだった。父は40代のころ、信じられないほど些細なきっかけで、常軌を逸した激昂をして暴れることがよくあり、私(たち)はそれに抗うことが許されない環境に暮らしていたが、近頃また似たようなことが頻発しているらしかった。彼自身、年齢を重ねて体力が落ちた分、また、かつての私のような小さな子供がいない分、言葉と態度だけになったようではあるが、話を聞くかぎりほとんどどうかしている。

 

あきらめが悪いのである。手に入らなかった家庭を自分で作ろうとしたけれど、見たことがないものを作れるはずがないし、見たことがないなら、ないなりに努力すればよかったのに、医師としての自分を完成させる道をとったからそのための時間を得られず、つまり人間の有限性に負けた。それなのに子らに自分の人生の成果、うまく生きることのできたあかしを期待していて、それらが得られないことにあからさまに不機嫌を示すのだった。もちろん血縁の関係しないストレスもあるらしいが、「優しいのに不器用だから」と庇ってくれる、妻という相手がいるのに、それ以上のものを望んでいるのが私には許し難い。

 

それで木曜から三日ほど別荘に失踪していた父が、今日は帰っているらしかった。私の生家、すなわち父と母の住まいの方向に用があったので私も母が乗ってきた車に乗って生家へ行ったが、私が精一杯心を殺して声をかけても、父はソファに横たわったまま呻き声のような何か音を発しただけで、もうこの老人の心は壊れているんじゃないかと思った。母には、東京の家を妹にしばらくまかせ、父と本気で別荘に住め、と提案した。絶対にそう言え、父は決心できずに揺らぐからお前がぶれるな、と母に念を押した。どうなるかはわからない。

 

甘えてんのよ、覚悟が足りないのよ、私はあなたたちを拒絶するときはいつだって全部が最期だっていいと思って言っている、今朝だってそうだ、これで死んだとて後悔がないから言葉の刃を深く突き刺す。私がそう言ったとき母は「あなたは、それで刺された相手がどれだけ傷つくか考えないの」と問うたが、私は「考えない」と即答した。「傷ついた自分の心は本人が何とかするべきもので、慮って手加減するような生き方はしていない。私が刺して死ぬならどいつもそれまでの人間だ。残念だけど私には、半分あの男の血が流れているから」。

 

生家を出て友人の家に向かい(個展に行くのは母の突如の来訪であきらめた)、夕飯をいただいてから、その家の少年と少年の父母と、夜9時までトランプをして遊んだ。帰りに駅まで送ってくれた少年の母に「子供の頃、家族でトランプしたりした?お母さんとかお父さんとか、妹さんや弟さんとどんなふうに遊んでた?」とやさしく聞かれて、そんなことは一度もなかったし、さっきまで、夫婦というふたりの人間がこんなに対等に助け合って、子すらも対等な存在として尊重し愛しはぐくむ家庭が本当にあるんだよな、と思っていたところだったから「そうね」と言ったきり二の句が継げずに、懸命に笑った顔が歪んでしまったなあと思いながら手を振って、友人とは別れた。