望まれて

 嘘をついていいのは自分のことだけですよ、人のやる気や認識をコントロールしようとして嘘をついてはいけないんですよ、と思いついて、言おうとした、本当は言いたかった、言ったらどうなるか恐ろしくなった、とどんどん気持ちが萎縮して結局は耐えた。

誰かに請われ望まれて、人に見せるための踊りを踊ることを運命づけられた人に会った。みずからが悦に入るために楽しく踊りを使う人ばかり何年も見ていたものだから、あまりにも眩しくて眩暈がした。輝きに圧倒され、身体の関節すらうまく機能せず、錆びたブリキのようなぎこちない動きでおのれのみじめな肉体を知るしかなかった。素晴らしい世界の転換だった。

そして、望まれて書く、ことしか自分にはなかった、自分自身の愉楽のためでなく、誰かに読まれるための文章しか書いたことがなかったという点で、私も彼女と同じ種類の存在なのだ、本当は、と気がついて眩しさから目の覚める思いがした。

みんな自分のことを話したい

自分の話に興味がない。自分というものを抽象化して表現したとき他者に理解されたらいいなというのぞみはあるものの、不可能だろうと知っている。

誰しも自分の話がしたいのだと、気づいたときには聞いてあげる側だった。そのまま二十年以上経った。身に起きた悲劇をまくしたてる同級生に追いつめられ、保健室のベッドで寝込んでいた十七歳の私は、十七歳のまま悪夢を繰り返している。身勝手な他人から自分を守れず、急に見捨てるほか手段のなくなる残酷さは愚かでしかなかったし、愚かさとは老いても変わらぬ個人の本質を言う。

聞いてあげたぶんだけ聞いてほしいわけでなく、聞ける時間があったときに私は働きかけたし彼ら彼女らの要望をできるかぎり、できる以上に、受け止めたのだから、そのとき最大応じてほしかった。

熱量と時間が、今この瞬間釣りあわない。そういうときの私は本気でどんな人のことも切り捨てる。そういうときしか、どんな人のことも切り捨てない。

Cascand Ⅱ

「まきちゃんまたおこだね」

 

わかる?

 

「壁こわしたらいけないよ」

 

やっちゃったよ。最悪だよ。修理にすごくかかるよ。

 

「ほけんおりるかきいてみよー」

 

詳しいね。

 

「うん、モニュほけんくわしいよ。まきちゃんまたおこなのもすぐわかるよ」

 

そっか。

 

「まきちゃんはじぶんのこと好きでいてくれるひとを本当はきらいなとき、傷つけたくなくてぐちゃぐちゃになって、よくおこだよね」

 

ずいぶんひどい人間だね。

 

「ドンマイだよ。まず、じかくから」

 

そうなんだよ。この前モニュが言ったみたいに好きでいなきゃいけない人によくおこしてるんだけど、それは向こうがまきちゃんのことすごく好きだろうから、悪いなあと思ってることが原因。

 

「ごうまんだよ」

 

えっ。

 

「普通に好きでいさせてあげたい、くらいにおもってるよね。ごうまん!」

 

そうなんだよ。

 

「とくに、おやだね」

 

っていうか親の話だよ今日は。

 

「おやだけでもないけど……さきに気づいたことをいうと、まきちゃんはいろんな人にちゃんと好きと思われているよ」

 

ありがたいよ。

 

「うれしいときはわざわざ言わないよね。言わなきゃいけないとさきにかんじるから言うんでしょ。ごうまんだよ。さんかい言ったよ」

 

わかったよ、ごめんなさいだよ。いろんな人って誰よ。

 

「ままとか」

 

ママね。ママはわたしのことすごく好きだよ。特に大人になって、わたしが病気から元気になってまたたくさん話せるようになったからうれしいと思ってくれてる。

 

「それがぱぱには、ふくざつで、なんだったらくやしがっている」

 

えっ。

 

「ぱぱはままとまきちゃんが楽しくしているとぶちこわしにしてままのちゅういをじぶんにむけるところがあるよ。むかしからそうだったでしょ」

 

あっ。

 

「ぱぱはままとまきちゃんがなかよくしてるとゆるせないんだよ。まきちゃんのこと好きなのは、ままをとらないかぎりにおいて、というじょうけんがある。本人はまきちゃんを育てたのはおやとしての責任と思ってるけど、責任をおうかわりに、そのじょうけんがうらにあるよ」

 

こわ。モニュの語彙力もこわいし分析もこわいし思い込みだったらどうするの。

 

「がてんがいったらおもいこみでもひとはすくわれる」

 

モニュ、カウンセラーなったら?

 

「めいたんていとどっちがいいかな」

 

名探偵モニュ、何か気づいたことありますか。

 

「まきちゃんもままのことが好き」

 

おお。

 

「でもままがぱぱとまきちゃんのことどっちがすきかわからないから、ぱぱにえんりょして好きとおもわないようにしてる」

 

どっちがってこともないと思うよ。両方好きなんでしょ、ママは。

 

「どっちか選んでほしいってまきちゃんおもってるよね」

 

えーっ。傲慢だね。

 

「そうだよ。自分がえらばれると思ってるからごうまんだよね。ぱぱかわいそうに」

 

うん。

 

「そんなぱぱのことをまきちゃんはわかっていて、かわいそうだから嫌ったらいけないとおもうけどじつは大嫌いだからぎむ感のまさつが起きて、おこする。もう40歳になるおとなのひとなのに、むかついて壁をけって穴あけるとか正常じゃないよ。むすめのことを好きでいたいはずなのになんだかわからなくなって暴走したちちを、かわいそうと思うよりきらいが上回ったとき、まきちゃんは壁をこわす」

 

こわしました。

 

「このいきおいで、かそうばで頭蓋骨もかちわりたいね」

 

何年先になるだろね。

 

「モニュもかそうばいきたい」

 

いいよ。そのときはいっしょに骨くだいて粉にしよう。

 

「ぱぱもままもまきちゃんが、まきちゃんがぱぱとままを好きより好きだよ。まきちゃんはひとでなし」

 

そうなんだよ。わたしのこと好きならわたしがいやなことしたり言わないでほしいと思う。

 

「好きじゃないのに好きでいさせてあげてるからね」

 

そう。

 

「まあ、そういうことまきちゃんよくあるじゃん。あるひとがまきちゃんのこと好きで、でもそれが気にくわないまわりのひとがぐちゃぐちゃ言ってきて、それがきょくげんに苦しくなったらまきちゃんのやることはいつもひとつだよ」

 

待って、言わないで、わかった、こわい。

 

「まきちゃんのこと好きでいてくれてるひともろともきりすてる」

 

あー。言っちゃった。モニュ言っちゃったね。

 

「ここだけのはなしだよ」

 

それすごく苦しいんだよ。

 

「だいじょうぶだよ、しぬまであえないとしてもしぬまでにじゅうぶんなコミュニケーションはがんばって取りおわってからきってるの、モニュ知ってる」

 

やさしい。

 

「ゆずって、ゆずって、ゆずりあっていきていきたかったのに相手がそれに甘えてまちがえるから、まきちゃんおこになる」

 

まきちゃんも甘えてまちがえてるかもしれないよ。

 

「今このしゅんかんまちがえてないか、よくかんがえたなら今はいいよ」

 

刹那的だね、モニュ。

 

「だってまきちゃんよく言ってるよ。わたしはいつでもこれが最期でかまわないとおもって他者と接してるから今この瞬間、誰と会えなくなっても後悔しないって。誰とでも次があるとおもって甘んじたりしないって。まあモニュ、その基準がきびしすぎて他者に伝わってない説あるとおもうけどね」

維管束(1年前の下書き)

死ぬ前に迂回すればいいのだけど、防御力が低く、工夫して生き残る発想力にも乏しいのですぐ死ぬ。きのこの出てこない初期マリオで常に走ってるから、小さくなっていく過程を踏めないのかもしれない。少しずつきのこや花を取っていきたい。そう思いながらたびたび死ぬ。


昨夜ふと、今更、気づいたが自分は、二つのまったく違う(ように見える)位相の世界を行き来しながらでないと、生きてゆかれない。半々ではなくどちらも十ずつ割り振って、片側で死んだときは反対側で生き返れるように。血管が詰まると気絶では済まず、すぐ壊死する脆弱な神経なので。

Cascando

モニュ、今まきちゃんはおこだよ。

「まきちゃんおこなの?」

うん。

「まきちゃんおこの時どうなるの?」

怖い怖いだよ。

「まきちゃんおこの時こわいこわいなの?モニュにもこわいこわいなの?」

モニュには怖い怖いしないよ。

「まきちゃんモニュにはおこしないの?」

しない。

「なんで?」

しない。

「モニュかわいいから?」

そうだよ。

「モニュかわいくなかったら?」

しないよ。

「かわいくなくてもおこしないの?」

しないよ。

「捨てたりしないの?」

しないよ。

「まきちゃんかえってくるまえにお部屋ぐちゃぐちゃにしたら?」

しないよ。

「だいじなご本かじったら?」

しないよ。

「モニュがあつくてかってにまどあけてむしはいったら?」

そういうときはまきちゃんクーラー付けてって言えばいいんだよ。しないよ。

「わざとおしょうゆたくさんこぼしたら?」

しないよ。

「モニュが好きだからしない?」

そうかもしれないね。

「おこな人のこと好きじゃないの?」

えーっ、好きだと思ってるけど。

「好きなひとにはおこしない感じあるよまきちゃん」

えーっ、でもそうかもねえ。

「モニュ好きでしょ」

好きだよ。

「よく出てくるあのひとのことも好きでしょ」

好きだよ。

「まきちゃん最初から自分でちゃんと好きってわかってる人のことおこしないよ」

えっ、そうなの?

「たとえばお父さんお母さんにおこするのはたぶん好きになりたいから」

なりたいんだ?

「好きじゃないんだけど好きになりたいなあとかならなきゃいけないなあっておもってるとき」

ならなきゃいけないと思ってるとき。

「でもモニュのことは来たときから好きだからおこしない」

なるほど。

「どんなときも愛することをやめないって決めた相手にはおこしない」

おお。

「だから今まきちゃんがおこってるのは、その人のことそんなに好きじゃないからだよ」

好きじゃないんだ?

「いいところがあるなあ、自分にないところがあるなあとはおもってるかもしれないけど、その人のそのぶぶん、たぶんまきちゃんそんな好きじゃないんだよ。でも好きでいなきゃいけないとおもってるから、ぎむ感のまさつがおきて、おこなんだよ」

語彙力こわ。

「好き、うれしい、がんばろう、みたいなのが最初で、おこはその次にくるものだから。初対面であったばかりの人に一言目でおこったりしないでしょ。なにかあって、おこになるんでしょ。まきちゃんはぜんぶ好きな相手だとだいたいなんでもゆるしてるよ。好きになりたい、好きでいないといけないのどっちかだとまきちゃんおこってるよ」

じゃあまきちゃんきらいな人のことはどうしてる?おこかなあ?

「むししてるんじゃない?」

普通はきらいな人に何かされたら傷ついたりすると思うけど。きらいって思うよりきらわれるのが悲しいね。いまも傷ついてるよ。

「傷つくのも、好きになりたい、好きでいないといけない相手のどっちかにされてることが多いよ。まきちゃん本当に好きな人のことで傷ついてるとこ見たことないよ。やっぱりぜんぶ許してるから」

新参者なのにどうしてわかるの?

「前任者からひきつぎをうけたよ」

そうなんだ。今も人からきらわれてる気がして悲しいよ。

「好かれたいから悲しいんじゃないもんね。まきちゃん逆なんだよね。好きでいないといけないと思うのに向こうが先にきらってくるからつらくなって、何で好きでいさせてくれないのかなあ、となってまたぎむ感のはざまで懊悩しているんだね」

その語彙力なんなのよ。人を好きでいないといけないと思いすぎてるのかな。

「みんなのこと大きらいよりいいよ。盲目に愛するものがちょっとしかないのもいいよ。でもモニュたぶん思うけど、まきちゃんは好きじゃない人のことを好きでいなきゃいけないと思いすぎてよく疲れてる」

流行り病4

8月23日(火)続き

やはり37.2度まで上がる。結局37度台が4日間続いているとも言える。母が白米を届けてくれた。

 


8月24日(水)

平熱で目覚め、午前中をやり過ごして昼前に微熱を出しながら一日乗り切る流れが定着。体力は戻らない。ビブラートの効いたような状態ではあるが、不安定な発声が戻りつつある。ストレッチ、アラベスク、パッセバランスなどをやってみる。腸腰筋疲労が取れて、もしかしたら身体の柔軟性は左右対称になっているかもしれない。22日前後の、バレエの先生とのメールやり取りを見返しながら現実味のなさに、ぽかんとしている。「31日から復帰したい」と自分は一応言っていたが、復帰して何がしたいのか、いやもちろんバレエである、しかしそのことが理解にうまく繋がらなくて呆然としてしまう。誰が、どこに、何のために復帰するというのだろう。

 


8月25日(木)

アイスクリームは喉が焼ける。午後は14〜15時にはだいたい37.2度出てしまう。夕方から続けて眠って連絡がつかなくなり、母を心配させる。起きた合間に電話を折り返したが、そのときには夜9時を過ぎていた。ストレッチは諦めて寝続けることにする。だってこのときは、自分がもうバレエを踊りたいと思う日なんか来ないだろう、何が良いと思って舞台芸術を知ろうとしていたのかまったく思い出せない、と思っていたから。演劇はともかくとして、私は本当にバレエをやっていたのか? あの自分と今の自分がずいぶん隔絶されてしまって全然思い出せない、と本気で混乱していることを、やっと考えはじめて、絶望して、眠るしかなかった。

 


8月26日(金)

目覚め36.6。アメリカの上司から陰性の連絡がきて、ほっとする。仕事ではないがそれ以上に重要(と言える)メールのやり取りに疲れきって10:30には37度を超えてしまう。どうせ効かないけれどカロナールを飲んで、パソコンは切る。

 

 

<療養期間10日間が終えての簡単な所感>

典型的な症状はいくつかあれど、重さは本当に人それぞれ、ひとりひとりのものである。この傷の個人性と、人生観に影響を及ぼす感じは、災害や戦争の体験と少し似ているのではないか。帰還した人間が何も話せない状態とたぶん今、少し似ている。あまり話したくないが、誰も同じ目に遭ってほしくはない。

 

 

8月29日(土)

バレエが好き、と夕べ思った気持ちが、朝起きてからも残っていたことが嬉しくて泣いた。夕方、地下鉄に乗って職場に行ってみる。少し作業をして20時前後に帰宅。

 

8月28日(日)

感染以降、はじめてバリエーションの振りをさらってみた。
 

8月29日(月)以降出社。

 

8月31日(水)出社三日目はまだ朝一36.8度ほどある。微熱は一週間以上続いたが、徐々に退いていく見込み。バレエクラスに戻る緊張のために昼間からずっと手が冷たかった。息切れが不安だったが、プティ・ジャンプを少し休んだだけであとはついていくことができた。ピルエットは回って降りるときに着地がかなりずれる。そこから後に1週間ほどかけてリカバリをし、再びモチベーションを取り戻すことになる。憑き物が落ちたように、視界はクリアだ。

流行り病3

8月20日(土)の続きから

 

熱は下がり、36.6となる。今日の夜上司は米国へ出張へ出る。そう思うと同行はとても無理であった。


13:48 ちょっと顔が熱くなってきたので測ると37.3。36度代との違いは大きい。14時過ぎにまた37.4でそこから貼り付き。午後になると上がる傾向なのだろうか。熱はあるが、レッグウォーマーにひざ掛け、長袖のパジャマを着て、籐椅子に腰掛けるくらいの落ち着きは取り戻した。固形物は受け付けず、むしろゼリーの中の果物も食べられず、水とナトリウム飲料を混ぜてひたすらストローで吸っている。

 

37.5から張り付きで今日も日が暮れる。深夜1:21に目が覚め、習慣で体温を測るも37.1のまま。今ひとつ調子出ず。


8月21日(日)

発症六日目にしてようやく少し底を打った感。喉の痛み、微熱の気配はあるものの、声以外はだいぶ元に戻ったような気がする。声はスカスカで大変小さい。起きたときの体温は36.6から37度前後。編み物などをしたい気が起きる。


10:00前後で、37.3ある。横になる。ここから午後までうとうとするが毎週見ているお昼のテレビ番組がないのでまた寝る。長袖のパジャマで汗をかく。


適当な時間にゼリー飲料、ナトリウム飲料、水を取る。小さいハーゲンダッツも食べた。マルチパックという、コンビニで売っているよりもっと小さいハーゲンダッツである。かわいいので心の慰めになる。


編み物をやってみたが毛糸が絡まってあきらめ、残りの毛糸もろとも、まるごと捨ててしまった。36.7を確認して就寝。

 


8月22日(月)

7:30起床、体温36.8。起き抜けにかなり咳込む。コーヒーを飲んでみるがマグカップ一杯飲むのに午前中いっぱいかかる。声と食欲がとにかく戻らない。17:00の時点でやはりまだ37度。平熱と行ったり来たりといったところである。夕方以降は37.3まで上がることもある。かぎ針編みを再開する。夕食に粉末タイプのスープと、薄い食パン(10枚切り)を食べる。友人がプライベートな音声データで励ましてくれて、非常に心強い気持ちになれた。


8月23日(火)

夢見が悪い。まだ見知らぬ人に期待したい願望が自分にもあるのかと考えながら起床。体温は36.6。平熱に戻ってきて、声も少しずつ出るようになる。しかし療養期間、日ごと体力が低下してゆくのを感じる。風呂を沸かす。体を流す気力体力は幸い毎日あったが、三日ぶりの洗髪と入浴だろうかと思う。相変わらず疲れやすくて食欲がない。無調整豆乳のオートミール粥、コーヒーを食べるが胸焼けする。ベッドパッド、シーツを洗濯して干すまでは元気だった。12:30ごろ、体力が尽きて横になる。しかしまたもや食べたヨーグルトで胃がもたれ、気持ち悪い。寝付けるわけでもないので、起きて少しかぎ針編みをしたりするが気持ちが続かない。18:00前に卵粥を食べて、活動限界。体温37度。咳き込むたび身体の熱を感じるのがつらい。