紙と革

鳴るのではないかと思っていたのでうまく取れなくてしくじった。掛け直すと、ええ目の前のすぐそこにすわって居ますよ、というような口ぶりの彼女が電話に出た。

 

14時に能楽堂に行ったけれど、脇正面のいちばん後ろの席では集中できなかった。オミクロンと名づけられた変異株が多くの患者を出している中で、能をただの口実にして座席で喋り続けている人の声を聴くのがいやだった。不特定多数の、人生の線が交差する場所がいよいよ苦手となっている。大勢人がいるのは仕方ないとして、背後にある暮らしや意思、生きてきた過去みたいなものから絡みあった毛糸玉を想起させられ、いっぺんに視野を塞いでくるような感じのするのが嫌なのである。そういう嫌悪感は実は高校生のときにずいぶん持っていて、行き過ぎた感傷としてかなたへ追いやっていたのだがこの年齢でなぜそれが甦るのか不思議だ。

 

今年はしずかに本を読むと決めていた。なるべく小説、フィクションを信じていたころを思い出せるようなフィクションを、探して読む。それに導かれて書けるようになればもっといい。彼女は、わたしは本を創りたいなと言ったので、素晴らしいと思った。紙にすれば、電気は永遠にいらない。