リラの精と読書

バレエ「眠れる森の美女」にはリラの精という美しい妖精が登場する.生まれたばかりのオーロラ姫に,まだ贈り物をしていなかったリラ(ライラックの花)の精が「オーロラ姫は死にません.100年の間眠り続け,やがて目覚めるでしょう」と言って”16歳の誕生日に紡錘に指を刺されて死ぬ”という悪い魔女の呪いを和らげる場面が,第一幕のクライマックス.

 

それで私は,もしかしたら,できることならば,リラの精のように,なりたいと思っているのではないか? という疑念が,胸に萌すのを感じた.誰かの呪いを,解いたりなくすことは出来なくても,可能なかぎり和らげて,未来の希望につなげる.そうして100年後の, オーロラ姫とデジレ王子の結婚式を見届け, 華々しく祝福の踊りを踊る.

 

それは先日,私の家のベランダには一株のライラックが増えたことと関係がある.私はそのライラックに「リラの精」と名前を付けた.彼女は,文字通りの古株であるオリーブの「オーロラ」と「デジレ」の間に置かれた.私は日毎に新芽が伸びゆくさまを,窓をあけるたび慈しむ.

 

かつて信頼する友人がカポーティの『無頭の鷹』という短編について「『君を愛しているからさ』という言葉に対しての,女の返答が素晴らしい」と教えてくれたことがあり,それはここに今書かないが,確かに,世界一すばらしい返答と言えるのかもしれない.

 

先日,別の友人が「愛情は健康を願うものですよ」と私に言い,私は「だとしたら私はこれまで何人かの人を愛しました」と答えたが,これはなかなか自分の中でも,今後題材となる良い台詞だったなとあとで思った(多少,ロマンティシズムとナルシシズムの匂いが否めないとはいえ).この返答には,先述のカポーティの短編の記憶がもちろん前提としてあり,誰かと集まったり食事をしたり触れ合ったりできない今,私がすべきことは,死者との対話すなわち読書,それから話をライラックに戻すのであれば植物の世話.このふたつである.